カリーナ・スチュワート博士は、ヒーリングと調和のとれた変化を遂げられる場所を造ることに身を投じています。
15歳までメキシコで生まれ育ったカリーナは、ナチュラル・ヒーリングやメディテーション、ヨガ、
アジアの精神哲学などに興味のあった彼女の母親に大きな影響を受けました。将来夫となるジョンと同様に、彼女が思春期に抱いた内なる憧れは、
彼女の周りにある文化的規範と全く対称をなすものでした。彼女自身がメディテーションを始め、アジアの精神哲学の探究を始めた14歳の時から、
カリーナの心は信心と自己発見へと導かれました。生まれながらに持っていた情熱的な性格と、まっすぐに生きたいという恐れを知らない熱い願いから、
カリーナは15歳で研究のためにサン・アントニオに向かいました。のちにプリンストン大学へ入学し、文化人類学とアジア宗教の分野で学士号を取得しました。
プリンストン大学時代にカリーナは初めてジョンと出会い、1年間の有給休暇の間、同じヨガの師匠の指導のもとで瞑想修養に没頭しました。
プリンストン大学で学位を取得後、カリーナの東洋への憧れと健康に対する情熱は彼女をカリフォルニアのヨ・サン大学へと導き、
彼女はそこで古代中国医術の修士号を取り、日本と中国でインターンシップを修了しました。彼女の研究は、ヘラーワークと頭部仙骨マッサージ、
ヨガと道教の実践、のようなセラピーの構築へと広がっています。
カマラヤに先んじて、カリーナはネパールのカトゥマンドゥにヘルス・センターをオープンしました。そこで7年間、東洋医学を学び、
様々な中国の薬草剤を作りました。そこからカリフォルニアでも研究を続け、現代医学と昔ながらの中国医術、
自然療法を組み合わせて行うデトックスの原型を開発しテストするために、Bウェル・センターの創設者、ジェームズ・ダーグラン博士やタオ・オブ・ウェルネスの創設者、
マオシン・ニー博士とともに研究プロジェクトを行いました。
カリーナはカリフォルニア滞在中に、ホール・センターで医学的デトックス・プログラムの企画と指導も行いました。
また、いくつかの都市で、東西双方の伝統的手法から細胞の解毒と浄化に焦点をしぼった、独自の'アウェイクニング'プログラムを開発しました。
カリーナの人生経験とアジアン・ヒーリングの伝統と哲学の修行や研究は、カマラヤ必須のウェルネス・アプローチにはっきりと表れています。
その目的は、心と身体、感情と精神の調和を通して各個人が持つ内なる治癒力に近づくことです。カマラヤは常に発展を続け、カリーナの経験や知識、
情熱の深さ、注ぎ込むエネルギーはより一層顕著になっています。